■2018年04月07日(土)
「人はズブズブに自分に夢中」
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色々考える事があったので、いつもの自己分析である。今回はたくさん人に手伝って貰った。
■煙がたなびく。

さよなら、おばあちゃん。
唐突に愛猫が亡くなった時の事が思い出された。確か身の回りの猫用品全部凄い勢いで捨てたんだ。何でだろ…たぶん、もう猫は二度と飼わない、みたいな…?
そしてそのあとここに少し吐き出し、ツイッターに捨て垢作って49日間だけめっちゃ吐き出していた。期間を区切るのは私にとって必要なことなんだな…執着を切り離して、感情を均質にならす、みたいな作業が。つまり色々入れ込み過ぎる。
でも予想した通り、あの痛みもやがて過ぎ去るし、なんだったら2次創作になってるし…(遠い目)まあなんかをきっかけに時折吹き出してくるけど、どんな感情にも人間って慣れてしまうな。
「平気なの?」に対する「もう慣れた」は正しい回答だと思う。
■「なんか、それはやはり、かわいそうなような…」
「…ああ、いやだ。また、こうやってすぐ感情移入する。 …誰の為にもならない、何の益にもならない、無意味な同情を、やめたいな。」
「…いやそれは佐々木ちゃんには無理だなー。それに、仮にそれをやめられたとして、物語と世界は色褪せ、きっと作ることはできなくなるよ。」
作るのは生きるのと一緒だな… …この共感作用を飼いならしていくしかないか…
■『逆に佐々木ちゃんは、独りだとさむいさみしいおなかすいたとか言ってそうだけど。言いながら、嫌いなものはさむかろうがさみしかろうがおなかすいてようが食べないんじゃないか。』
…人から見た私面白いな…
この偏食、古の時点で滅びてもおかしくないと思うんですが生き残っているので、口ではもう無理言いながら飢餓耐性あるんだろう。吐く可能性90パーでもとりあえず口に入れた結果、耐毒能力を手に入れたオタクとは別の進化を遂げたオタクか…たまにはおなかいっぱい自分好みの萌えを食べてみたいなあ。だから作りたいから作って、必要な所には、与えたかった。まあ自分がそうしたかっただけだ。自己満足を拒絶されても、それは仕方ないこと。「献身に対する見返りが欲しかったのならば最初からそう望むべきだ」そしてそれを愛と見せかけるならば、せいぜい口には出さないことだ。錯覚か勘違いでも、愛情(みたいなもの)を与えられるならそれでいいやと思ったが、さすがに要求されたことが自分的にわけが分からな過ぎて少し疲れたな。偽物だからこんなものか。
■「佐々木はよく感情を分析して理詰めしている」
ああ、よくしてるね。…うーん?
うーんこれは…感情が自己統制下にないという言い訳をなるべく排除しようとしてるな…人間の感情は全て目的の為に使われている。抑えきれなかったとか、無意識でとか、「だから私のせいじゃない」とかそんなものは、ここに、いらないんだよ。私は私の感情に、その目的を持って使用した責任を引き受ける。誰のせいにもするもんか。私の器量で、至らなさで起こった内側のなにもかもを、誰のせいにも、するもんか。
この心の動きが理詰めというなら、必要だから理詰めしてるのであり、つまり反動形成の可能性大。この…、真逆がいるのか…解き放ったら絶対ダメな奴だこれ。もっと理詰めされるべき。雁字搦めに身動きできなくされ、東京湾に静かに沈められるべき(結論)
…まあ殺しきれはしないだろうな。死ぬときは一緒だよ…(BL調) |  | | |