自分に向けられないと分かっているからウルフウッドの笑顔が好きなのかもしれないと思う。
手に入らないものばかり欲しがって、昔そう言われた気がしたが、誰から言われたのか思い出せない。よく考えてみるとそんな事を言い聞かせてくれる様な人が思い浮かばない。
それなのに目の前のウルフウッドは妙に小奇麗に笑っていた。
「ウルフウッド」
「何や?」
ウルフウッドが笑いながら応える様に無性に苛立ち、顎を掴んで無理やり目を合わせた。睨みつけて、そのうち哀しくなる。
「そんな顔で俺に笑いかけるなよ」
夢だと気付くじゃないか。
夢の話をしようか、と隣に向かって話しかける。
一人で旅をするようになって何が変わったかといえば寝起きが極端に悪くなった事だろう。欠伸をかみ殺しながらぼやけた視界を無視して階段を下りた。それでも長逗留しているせいか足取りは危なげない。
「おはようさん」
宿の主人が声を掛けるのに声を出さずに会釈で返す。テーブルに着き、いつ読んでも代わり映えのしない新聞を広げた。
「どうしたの。何か機嫌悪そうじゃない」
「うーんちょっとね・・・あー俺今日朝飯いらないかも」
「何だい、また夢見が悪かったのかい?」
トレイを運んできたおかみさんに伝えるともう朝食って時間でも無いけどね、と苦笑された。コーヒーだけを貰う。
「あっそうだ、シャベル貸して貰える?」
そう言うといつも怪訝そうな顔をされるが笑ってごまかす。曖昧な笑顔は標準装備だ。
何に使うか伝えてないのは訊かれないからで、尋ねられれば答える用意はしてある。それに納得するかしないかは言われた側の問題だ。ヴァッシュの知ったことじゃない。
「じゃあこれ詰めてお弁当作ろうかね」
バゲットとハムエッグ、サラダの残ったトレイを引き揚げた丸っこい背中が厨房に向かう。ヴァッシュはこの小さな宿が大好きだ。
時々思い出したかのように穴を掘った。大抵は暇を持て余した時だ。
シャベルを持ち歩いているわけではないので宿から借りる。宿に置いてなければ買う時もあった。不必要な出費だ。
納屋から出して貰ったシャベルを引き摺るように歩く。ガリガリと地面を引っ掻く音が気に触り、持ち替えていると通りの向こうから手を振るミリィが見えた。
ミリィとは結構な頻度で会った。行く先々の町で声を掛けられるのは偶然ではなく、それを装っているのだろうという事は分かっていた。
以前と違い、一つの町に留まる時間が長い。偶然のふりを続けられるのはそのお陰だろう。気を遣わせて申し訳ないと思う。
一緒に店に入った。
外観からして甘いケーキ屋に、シャベルなんて無骨な物を持ち込むのも躊躇われ、軽く悩んだ末外壁に立てかけた。どうせ小汚いシャベルだ、盗って行くような物好きもいないだろう。弁当が入ったバスケットはそのまま持ち込む。
ミリィはいつもガトーミルフィーユを頼む。それにセイロンティー。
店員に申し訳なさそうに置いてないと言われ、メニューと睨み合っていたが結局アイスコーヒーを注文した。ヴァッシュも一緒に頼む。それほど時間を置かずにテーブルに運ばれたガトーミルフィーユに二人して小さく歓声を上げた。
アイスコーヒーにミルクとシロップをたっぷり入れる。
いつ会っても変わらないと言うと、ヴァッシュさんにだけは言われたくありませんと笑われた。まったくもってその通りだ。ミリィとの会話は単純に楽しい。
先輩、忙しいみたいでー。わたしがヴァッシュさんに会ったって言ったらきっと羨ましがりますよ。へへへー、と屈託無く笑う。取り留めなく広がる会話に相槌を打つことで参加する。
口いっぱいに頬張ったままどうすればそんなに喋れるんだ。妙な器用さに感心した。
しばらくメリルとは会っていなかった。
夢の話をしようか、とヴァッシュが言うのでミリィは黙って頷く。
別に聞きたい訳でもないが、喋りたいことはあらかた喋ったので次はヴァッシュの番だ。律儀にそう思う。
それに何よりミリィは静かな空間というのが苦手だった。
特にへらへら笑うだけのヴァッシュの隣で沈黙が続くといたたまれなくなる。黙り込まれるよりは何の足しにならない会話でもあった方がましだ。
もっともそんな間の悪い思いをしているのはきっとミリィだけで、ヴァッシュは特に何も感じていないんだろう。理不尽だ。
コップの底のコーヒーが氷で薄まっているのさえヴァッシュのせいに思えてくる。八つ当たりのようにストローを掻き回すと氷がグラスに当たる音が小さく聞こえた。カツンと響く音が妙に心地よくて、こんな沈黙もたまにはいいかもしれない、と思ったのにヴァッシュは構わず喋り出す。
他人の夢の話ほどつまらないものはない。
いつ聞いてもあまり変わり映えしないヴァッシュの夢の話は退屈だ。それでもミリィは黙って聞いてやる。
どこかしょうがなさそうに話すヴァッシュに、誰に向かって喋っているつもりなのか問い質したいといつも思う。
義手は死体と一緒に捨ててきた。
「作らないんですか」
メリルとの電話越しのやりとりを不意に思い出す。あれはいつだったんだろう。
「義手。今ならもっといい性能のが簡単にできるって聞きましたけど」
あれ以上精巧なのもどうかと思うけど。
「うーん、別に片腕でもそんな困んないしね」
「私が見るのが嫌なんです」
ヴァッシュが何故左手を捨てたのかメリルは訊かなかった。それはメリルの賢さだ。
氷の溶ける音に手の中のグラスを見た。こちらから会いに行こうか、とミリィに言うと無邪気に喜ばれたのでもう少し早く言い出せば良かったと思う。もっともメリルから歓迎されるかどうかは分からないが。
相手の都合を考えないのは昔からだ。
ウルフウッドがあんな笑顔で笑い掛ける訳がなかった。
だから未だに全部夢だったのかもしれないと思っている。
夢から醒めた時、まず見るのは手だ。
髪越しに掴んだ地肌の熱を思い出せない。ぐしゃぐしゃに掻き回した黒髪のごわついた感触も、不機嫌さを装った表情も鮮明に憶えているのに、なぜかそれだけが思い出せない。
右手を握り締める。ゆっくりと開く。思い出せそうな気がして、その動作を繰り返す。
そして諦める。
忘れたくても忘れられないと思っていたのに。でこぼこした記憶。
憶えていたのは義手の方だったんだろう。
勿体無いことをしたと初めて思った。
次は何を忘れるんだろう。
自分の薄情さに驚きながら、それを少し楽しみにもしている。
街のはずれに掘り掛けの穴がある。
場所を知っているミリィがバスケットを持って先に歩く。バスケットにはぎゅうぎゅうに中身の詰まった弁当と一緒に水筒も入っている。もしかしたらシャベルより重いかもしれない。
顔見知りから声を掛けられたミリィが足を止めるのに先に行くよと声を掛けた。ひとしきり笑い声が背後から聞こえたあと、パタパタと足音がついてきた。
前に掘りかけて放ってあった穴は記憶にあるより浅く、思わず溜息が出た。穴の周辺にあったはずの掘り出した土が無かった。砂嵐で埋まったのかもしれない。
片手でシャベルを扱う。慣れれば何という事もなかった。
「えっと、あのー、ずぅーっと訊きたかったんですけど」
「ん?何?」
作業を止めて、木陰でしゃがみこんでいるミリィに首だけを回し視線をやる。砂埃から守るようにバスケットを抱えている。そのバスケットから取り出し放られたタオルに小さく礼を言ったものの、それほど汗はかいてないので拭うふりだけして首に掛けた。
「なんで穴、掘るんですか?」
「墓」
背中を向けたまま答えた。足で踏む度に、ざくと言う音をたてシャベルの刃が地盤にめり込む。掘ることに集中していると、あの嘘臭い笑顔がちらつくことも無い。
「俺まだちゃんとした墓作ってなかったんだよねそう言えば」
「わたしも手伝いましょうか?」
刃の縁を力に任せて思い切り踏み付けた。地面に刺さったシャベルから手を放し、大きく背筋を伸ばす。
「うん、でもこれ1個しか無いのよ」
そう笑ってシャベルに顎を凭せ掛けた。錆びた金属の臭い。
穴を掘り終わる頃に次の町へ発つ。墓が完成したことは無かった。
このまま行く先々で穴掘ってったら、そのうちこの星、球形じゃなくなりますよ、とミリィが笑った。
今日もまた夢を見た。
多分明日も見る。
その夢の話をもう隣にいない牧師に話し掛ける。不毛な日課だ。
普通なら身体を酷使すれば夢も見ずに眠れるのかもしれないが、生憎穴掘りくらいで疲労するような身体のつくりじゃない。
それに別に夢を見るのは嫌いじゃない。記憶がだんだん薄れていくのに伴い夢の密度が濃くなっていく。バランスは取れている。
目下のところ気に掛かっているのは、掘り終わったら何を埋めればいいんだろうという事だけだ。
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