衛星中継 [サテライト・アワー]
泊まった宿屋は「ホテル」というよりは「木賃宿」と言った方がしっくりとくるオンボロ宿屋だった。
それでも看板には「HOTEL」と銘打ってあったから、もちろん部屋には普通のベッドとテーブルと椅
子があり、バスとトイレが付いていた。ただし内装には普通以下の関心と費用しか払われなかったら しく、天井にはアメーバ状のシミが幾つも見えた。青い壁紙は紫外線のせいで外側に近付くにつれ て色を淡くし、窓枠から30センチいないの領域では殆ど薄茶色に変色していた。まるで大陸棚の航 空写真だと僕は思った。
筒抜けの薄い壁越しに、さっきまでTVの音が微かに聞こえていた。それから時々人の動く物音。
隣はウルフウッドの部屋だ。彼の部屋にはどういうわけかTVが備え付けてあった。そのTVだって、
もう少しでただの四角いラジオになりそうな代物だったが。さっきまでその部屋には、
「調子悪いねん」
とブツブツ文句言いながら、TVの側面を叩きまくるウルフウッドがいた。色褪せた画面は時々ノイズ
が入って見難い事甚だしいが、ウルフウッドは点けておく事にしたようだ。
ニュースを一通り眺めて(主に情報は耳から入れて) その後、古い映画に画面は変わった。
映画の中で、マフィアの情婦とその手下の若い男が手を取り合って逃げ出した。
そこで僕は自分の部屋に戻った。
その映画は今までに何度も観た。結末だって僕は知ってる。
戻った部屋の壁越しに、微かに聞こえる銃声や女の声、低く響くのは男の声。
決めのセリフでも言ってるのかもしれない。
しばらくしてシャワーを浴びて出てくると、聞き慣れたノイズの音がする。途切れることなく鳴るそれ
はザラザラと耳障りな音だ。
思わず窓に眼をやると、そこには冴えた闇と星灯りがあるだけで静寂を絵に描いたようだ。少し首
を捻って耳をすますとノイズは隣の部屋から聞こえた。
―わかった。聞き慣れたノイズは砂嵐。
ああ…、と溜息を吐いて僕は隣の部屋に向かった。
鍵なんて洒落たものがついてない宿で良かったな、と思いながら気持ちノックをして、そっと隣の部
屋に入る。
ベッドの足下の方へ設置されたTVは案の定点けっぱなし。灰色の砂嵐が四角いブラウン管の中
で吹き荒れていた。ベッドの上には枕を抱えてすやすや眠るウルフウッドがいる。
僕はその姿を見て軽く溜息を吐くとTVのスイッチを消す。そして振り返ると、真っ直ぐにこっちを向
いた銃口と対面した。別に驚きはしないが、御丁寧に安全装置も解除してあるのには参った。
うっすらと目蓋を開けたウルフウッドは半ば寝惚けているようだが、まぁ、侵入者に対する条件反射
みたいなもんだろう。
「オドレか…気配殺して入ってくな」
開口一番、彼は僕の姿を認めると掠れた声でそう言った。それから急に腕の力を抜いて、ぱたり、と
ベッドに銃を離す。僕はその銃をテーブルに置き直してベッドサイドに腰を下ろした。
「寝てたじゃないか。気を使ったんだよ」
ウルフウッドはごろりと身体をこちらに向けると、横になったまま僕を見上げる。
「……起きてたわ」
「寝癖まで付けて、嘘言えよ。シャツ皺くちゃじゃないか」
僕がそう言って少し笑うと彼は唸りながら起き上がり、二、三度頭を振った。黒髪がパサパサと乾い
た音を立てて顔の周りに散る。彼はそのまま僕が消した画面をぼんやり眺め、さっきの映画… と呟 いた。
「…ストーリーは陳腐やったし、女優もワイの好みの女やなかったけどな。ああ…でも…あのシーン
は色っぽかったな…」
どうせ、うつらうつらとして観てた癖にストーリーなんか覚えているんだろうか。僕は訝しげながら訊き
返した。
「ふーん?…どうゆうの?」
「ジャム」
「は?」
そう言ってウルフウッドは自分の口元にスッと指先を運ぶ。
そこで僕をチラリと見ると、薄く開けた唇から舌を覗かせた。濡れた紅い舌が筆のように彼の長い指
をゆっくり上下するのを僕は見ていた。
僕に見せつける角度といい、その少し苦しげに寄せられた眉も表情も計算しているとしたら、ほんと
ザッツ・エンターテイメントの世界だ。悔しいが少しドキリ、としてしまった。
なるほど、それはとても色っぽいシーンだと思う。でもその女優、そこまで上手に煽ってたかな?
「………………」
黙り込んだ僕に、ウルフウッドはニヤリと口角を歪めて唇から指を離した。胸元から煙草を取り出して
火を付けると、その手で僕を指差して笑う。
「ははは、赤くなってやがる」
幾分頭も醒めてきたようだ。さっきまで彼が見せた誘うような表情がかき消えて、いつもの顔になっ
たのを少なからず残念に思いながら僕は続けた。
「…ああ、そのシーンなら覚えてる。次に女がこう言うんだよね」
――バカな真似がしたいのよ。
ウルフウッドは頷くと、そのセリフの続きを引き継いで消え入りそうな声で言った。 私を……。
「私を……めちゃくちゃにして……」
そう、それで恋人役の男はこう言うんだ。出来るだけ素っ気なく。
「芝居はやめろ」
ウルフウッドは僕を見て灰皿に煙草を押しつぶすと身体を乗り出した。のろのろとシーツの上を移動
して両腕をゆっくり僕の首に廻す。そして低く押し殺した声音で言った。
「…芝居じゃない」
その身体を抱き留めてやると、耳を掠める吐息が少しだけくすぐったい。
でも、彼はまだセリフの途中だ。最後まで聞きたい。聞かせてくれ。さぁ…。
僕は抱き留めた腕に力を込めた。
―やがて耳元で囁かれる彼のセリフはこうだ。
……早く抱いて… 一番乱暴なやり方で……! ああ、早く!!
……………。
僕らはそこで耐え切れなくなって同時に吹き出した。肩を震わせて、頬を合わせた向こうで笑い転げ
た。一体僕らは夜中に何をして遊んでいるんだろう。酒も飲んでいないのに。
「あっはははは!君も良くやるよねぇ」
「ククッ、…悪のりし過ぎやったな」
一頻り笑った後、息を整える間の僅かな沈黙。ウルフウッドは僕の首に腕を廻したまま、僕は彼の
背中に腕を廻したまま、しばらく黙っていた。
やがて、ウルフウッドがポツリと言う。
「……抱いてくれ…か。ムードも何もあったもんやないわな」
「いいんじゃない?嬉しいほど露骨で。そういうのは嫌いじゃないよ」
僕は肩越しにそう苦笑する。
「………ふん。映画のセリフや。勘違いすな」
鼻を鳴らして顔を上げると、ウルフウッドは冷めた視線を僕にやった。それから同じように冷たい唇
を僕の唇に押しつけた。
一度目は触れるだけ。
二度目はついばむように。
最後には噛み付くように。
指先に付いたジャムはないけども、縺れ合いながらベッドに倒れ込むのには十分すぎる行為だ。
甘い言葉を耳元でささやいて、そっと僕に寄りかかる君。
……なんてね。下手な演出をするならこうだけど。
よりリアルな演技が求められるベッドの上では、僕は一流の役者だ。もちろん彼も。
…さて、芝居の幕間は短い。
疲れて眠り込むまでの芝居を始めようと思う。
end■
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basementの久慈様のBBSにて「手フェチです!今回のすっげいかったです!!」というようなことを叫んだら
「じゃあ差し上げましょうか?誕生日ギフトということで」と言われ、
久慈様の気が変わらないうちに速攻UP。
光のようにすばやく挿絵を描いた。
あーあーあー、急いで描いたら凄いことに。少しおちつけよ私。
私次の誕生日プレゼント、画力が欲しいな。
7・27日
久慈様内容付け足し。
ついでに若干レイアウト変更。