いつかの風景


■■
■■
■■■

『…ウルフウッドォ』
「あ?」
『しよ?』
「…またか色ボケ」
 ワンルームマンションのシングルベッドで寝転びながら電話を取ったウルフウッドは、聞き慣れた声に笑いを堪えながら返事をした。
『どうせそうじゃないなら電話しないって判ってるでしょ』
「まぁそやけどなぁ」
 しゅるしゅるとネクタイを取りながら、一番重要なことを単刀直入に尋ねた。
「で、今何処や」











「や、久しぶり」
「…ついこないだ会った気ィするけどな」
 いいじゃない、と先程の電話相手のヴァッシュは屈託の無い笑みを浮かべた。仕事帰りらしい。
「来てくれたってことは良いって事だよね」
「ワイの貴重な週末を潰すんだけは勘弁やで」
 同年代の友達のような会話をしつつ、ヴァッシュの家へ向かう。片手には酒のつまみ。傍目には何の不審も感じ得ない二人。
「そこまで張り切らないから」
「そうして欲しいわ」
 けれど決定的に友達とは違う。
 互いが求めているのは、「気持ちいいこと」。
 ただそれだけ。










「…相変わらず生活感あらへんなぁ」
「仕方ないじゃん殆ど居ないんだから」
 笑って言うヴァッシュの職業をウルフウッドは知らない。そしてヴァッシュもウルフウッドの仕事は知らない。
 ただ知っているのは、互いの名前(偽名かもしれないが)と住んでいるところとカラダ。
 それだけ。
 理由も意味も要らない、そんな関係。
「はい、どうぞ」
「お邪魔します」
 一応挨拶をして入るヴァッシュの家は、広いワンルームだ。フローリングの床に靴下が滑った。
「あ、ごめん。この前ワックス掛けすぎた」
「はよ言えや」
 決まり悪い顔をして、ウルフウッドは大きめのソファに座った。テレビをつけ、寛ぎ体勢万全だ。
「先シャワー浴びてて。夕飯まだだろ?」
「んー。」
 時間指定のデリバリーピザ。適当で良いよね、とヴァッシュは三時間後に届くよう注文をしていた。
「…夕飯にならんやろ」
「運動の後の食事。軽いのは君がシャワー使ってる間に用意するよ」
 渡されたバスタオルとバスローブ。ウルフウッドは顰め面をした。
「…なんやこれ」
「どうせ脱ぐなら面倒だもん。これで良いでしょ」
「ラブホか」
 ウルフウッドは笑いながら脱衣所を兼ねた洗面所のドアを閉めた。






「…美味しかった?」
「おう」
 艶やかな濡れた金髪を拭きながら、ヴァッシュがウルフウッドの隣に座った。ソファの前のテーブルには、ホットサンドイッチとビールの入ったコップが一つ。
「じゃ腹ごしらえも済んだ事だし」
 ヴァッシュはウルフウッドのバスローブを肩から落とした。腕を引き、不安定なソファの上に横倒しにした。ウルフウッドはぞんざいな扱いに抗議の声を上げたが、肌を滑る手のひらに声が詰まった。
「…ここでやるんか」
「駄目?」
「身体痛い」
「ん」
 悪戯を見つかった子供のように少し拗ねたような顔をして、ヴァッシュは圧し掛かった身体を退けた。ウルフウッドはもう一度バスローブを羽織って身体を起こし、体裁が悪そうに頭を掻いた。
「…なぁ」
「ん?」
「何で男にしたん?」
 互いの性欲の捌け口に、求めたもの。
「女のヒトって色々面倒でしょ?だったら別に」
 男でも構わないと。
「そないなもんかな…てまぁワイも似たようなもんか」
「まぁ良いんじゃない?気持ちよく出来れば男だろうが女だろうが」
 二人分の体重を受けて、ベッドが少し軋んだ音を立てた。痕をつけない程度に這うヴァッシュの唇はとても優しかった。
「なら気持ちよおしてな?」
 可笑しそうに言うウルフウッドの腕は、ぽとりとシーツに投げ出された。










「執着、てのがなかったんだよ昔から。」
 ヴァッシュは突如ピザを食べながら話を始めた。全てコトは済んで、どこか気だるい空気の広がる部屋の中。ウルフウッドはヴァッシュの話に特にどうとも思わなかったので、そのまま無言でピザを頬張っていた。
「女の人ってさ、時折酷く僕にとって扱いにくくなるんだよね。こういったことを考えてる時点でかなり女性の敵って感じだけどもさ」
 誰に話すでもないといった感じで、話が進んでいった。ウルフウッドは特に意見をするでもなく、ただヴァッシュの話を聞いていた。
「別にええんやないの?そんなん」
「…ビョーキなのかな」
「別にホモかてバイかて病気やあらへんし。」
 性癖に難癖がある輩は大勢いる。まぁ、それが慰めになるかどうかは別として。
「あぁ。言っとくけどな、愛だ恋だ言い出したらワイもうアンタとは会わへんよ」
「…つまり僕たちはセックスフレンド?」
「当たり前や。」
 ウルフウッドはヴァッシュとの関係に一線を引いているつもりだった。セックスをするだけ。快楽を共有するだけ。それ以上はまっぴらだった。
「…そっか。そーゆー表現でいいのか」
「一種の自慰やろ。互いのことなん関係あらへん」
 相手が男だろうがコトは行えるのだと知ったのも意外だったが、それで別にどうとも思わない自分も意外だった。モラルの低下が叫ばれている昨今、これもそういった現象なのかなと自分で分析してみたりもした。
「はぁ…。そうですか。じゃ君気になってる子とか居るの?」
「あ?そーゆーのは自分から言うのが筋やろ」
 ずず、とストローで烏龍茶を啜って、ウルフウッドはまたピザを頬張った。ヴァッシュは一頻り唸った後、居ないと言った。だからこその関係とも言えたのかもしれないが、見た目もてそうなヴァッシュのこと、実際そうなのだろう。
「…同じ担当課の子でな、えらい生意気ィな姐ちゃんが居るんやけどなー。可愛ええんやこれが」
「へぇー。彼女になったら紹介してよ友達としてさ」
「……何か嫌」
 酷いなと笑い合って、その日はウルフウッドがベッドで、ヴァッシュがソファで寝た。その時はまだ、何処かもやもやとした気持ちが晴れなかった理由をヴァッシュが知る事はなかった。











『オマエどないしたん?』
 久しぶりに聞いたウルフウッドの声。
 今までは自分から電話をして、セックスをして、そんな週末をよく過ごしていたけど。
「…何が」
 一ヶ月ほど前、その関係がこれ以上続けられないという見切りが付いた。
 夕方のオフィス街、多分前に言っていた後輩であろう女の子と楽しそうに並んで歩いているウルフウッドをヴァッシュは見てしまった。それに酷く自分はショックを受けた。それは、ウルフウッドに対して抱いている感情が決して『トモダチ』ではないことを意味していた。
『一ヶ月も音信不通なん珍しいやん』
 それを知らないウルフウッドは、自分をまだただの『トモダチ』だと思っている。
 耐えられなかった。
 拒絶されるのは、目に見えて判っていて、そんなことは言わないでおいた方が互いに良いとも知っていた。
「…いいじゃんか。忙しかったし、君はその方が良いでしょ」
 出来得る限りの不機嫌な声で、応対する。
 どちらかが嫌なら、直ぐに終わりにしようと約束した関係だった。
『…何いじけとんの』
 だったら、今すぐにでも終わらせたかった。
「もう良いよ、好きな子できたんだ」
 聞こえそうになった声を聞く前に、押した携帯のボタン。電子音一つで終わること。はぁ、と溜息を一つ。
 同時に鳴った玄関のチャイム。
「居るんやろ」
 電話口と同じ、声。
「…何なんだよ」
 ヴァッシュは無視を決め込むことにした。
 しかし、
「トモダチとしてなぁ…やっぱ気になるやろ。恋愛相談くらい乗ったるで」
 自分の中で、何かが切れた。
「中入れてんか、暑いねん」
 ヴァッシュは溜息を一つ吐いて、携帯をソファに投げた。ドアを叩く音をうざったく思いながら、裸足でぺたぺたとひんやりとしたフローリングを歩いた。
「…ええ加減に…」
 ヴァッシュは、唐突にドアを開けた。
 微笑んで、ほっとしたような顔のウルフウッドの鳩尾に思い切り拳を叩き込んだ。
「君を好きになっちゃったんだよ」

 聞こえたのかは、判らなかった。











「…ッ」
 きし、とベッドが軋んだ。ヴァッシュはソファに座ってぼんやりとテレビを見ていた。
「おい、オマエどういうつもりや」
 ベッドに結わえ付けられた両腕。取ろうにも、自分にはそんな縄抜けの技術などなかった。
「…別に」
 ヴァッシュは煙草をふかしていた。よく見ればそれはウルフウッドのポケットに入っていたもので、かなりもう中身は減っていた。
「手ぇ外せ」
 ウルフウッドは苦々しく吐き捨てた。
 ヴァッシュはふかしていた煙草を灰皿代わりにしていた空き缶へ放り込んだ。
「…黙ってよ」
 ヴァッシュはその時初めて、振り向いた。その底の冷えた瞳を見て、ウルフウッドは背筋に冷えたものが走るのを止められなかった。
「怖い?そうだよね。自分でもびっくりだよ」
 表情が強張ったのが判ったのか、ヴァッシュは目を細めて笑った。ぎしりとベッドが二人分の体重を受けて軋むまで、ウルフウッドは動けずにヴァッシュを凝視していた。目を逸らせなかった。
「これでもね、君が好きみたいなんだよ」
 ヴァッシュは抵抗されないようにウルフウッドの身体を自分の身体で抑え込んだ。
「…ふざけんな。こんなことしといて好きも何もあるかい」
 ウルフウッドは獣が威嚇をするように、怒りを剥き出しにした。けれどヴァッシュはそれを何とでも感じていないように、微笑んだ。恐ろしく無邪気な顔で。
「どうせ君は『トモダチ』としか考えてなかったんだろ?そんなの耐えられなかった」
 自覚してしまった想いは止まることを知らないように無尽蔵に膨らんでいった。
「…やからって…オマエ、サイテーや。」
 空っぽな表情。
 薄い翡翠色。
「うん、そうだね」
 いっそ穏やかなほどの物言い。


「…おい、」
 手を縛られてベッドに括られていたウルフウッドは、きっと強姦でもされるのだろうと思っていた。しかし、ヴァッシュはウルフウッドの上に圧し掛かり、抱き締めるだけで何もしない。肩に感じるヴァッシュの吐息だけを感じていた。
「君をさ、」
 どのくらいそうしていただろう。ヴァッシュは突然話し始めた。
「閉じ込めて犯して殺してやろうかと思ってた」
 淡々と語られる内容に、ウルフウッドは眉を顰めた。
「でも」
 ヴァッシュはそう言うと、血液が通わなくなって冷えてしまったウルフウッドの腕を取り、紐を解いた。感覚のない腕にウルフウッドは溜息を一つ吐いた。
「…そうしても君は僕のものになんかならない」
 ヴァッシュは表情も見せずに一度きつくウルフウッドを抱き締めて、身体を離した。ウルフウッドに背を向けて、ヴァッシュはベッドから立ち上がった。
「…早く帰って。二度と来ちゃ駄目だ。でないと俺何するか判らないよ」
 脱がされていたスーツの上着を投げてよこされた。その態度が酷く頭にきて、ウルフウッドは蹴りを一発、ヴァッシュの背中に入れた。それでもヴァッシュはよろめくだけで倒れはしなかった。
 こちらを、見もしなかった。
「早く、出てって」
 繰り返してそういうだけで、ウルフウッドは酷く腹が立った。
「癪に障るやつやな、オマエ。真っ直ぐこっち見て言いや阿呆。」
 肩を思い切り掴めば、予想外の力で外された。舌打ちをしてもう一度手を伸ばせば、触れる前に振り払われた。
「良いよ、もう早く帰ってよ。君が悪くなんてないし、もう関係ないよ。会わなくなれば忘れるから、お互いに」
 必死で言い訳をしているように見えるヴァッシュ。ウルフウッドは帰る事が一番自身にとって最良の方法だと思いつつも、それが出来ずに居た。何回夜を一緒に過ごしたのかは、よく覚えていない。決して居心地は悪くなかった。
 でもこれは、好き、とは違う気がする。
 ヴァッシュが自分に対して抱いている感情も、きっと違うものだと思う。
 そう、思いたかった。
 嫌いになりきれない。けれど半端な感情なら互いに傷付くだけだ。
 それは今までの恋愛経験からも学んだ。

「…なら、ええよ。出てくわ。けど」

「最後にセックスしよ」

 何故自分がこんなことを言ったのか、ウルフウッドにも判らなかった。










 暢気な土曜日の午後のテレビ。サスペンスドラマの再放送なんかをやっていて、音楽が時折緊迫した雰囲気を伝えた。
「あ、ぁ」
 ぼんやりとテレビに意識が向いたところを、容赦なく引き戻された。胸に舌を這わす男の顔は見えない。以前は付けなかった、執着の跡がそこかしこに散っていた。何度も自分だけ達して、意識は朦朧としていた。それでも煽られれば素直に反応を返す身体。目を瞑って感覚を追う。不意に熱の中心を口に含まれ、びくんと身体が跳ねた。自分のものとは思えない甘い声が咽喉から漏れて、更に刺激が欲しくて腰が揺れた。自分が放ったもので解かれた中は、物足りないようにひくついた。
「ッく、んあ、あぁっ」
 物足りない状態を理解したのか、ヴァッシュは何も言わず熱を捩じ込んだ。いつもなら、甘く囁いたりするヴァッシュだったが、今日は何も話さない。互いが道具のような行為を、ずっとしている。冷えたものが、少しずつ溜まってゆく気がする。熱くてたまらない身体の熱に反して、しんと冷え切った、真冬の空気のようなもの。
「…い」
 首に腕を回してしがみ付いているのに、距離はえらく遠い。傍から見れば愛し合う行為に他ならないのに、そこに横たわるのは酷く異質なもの。荒い息が耳に届く。強請るように腰を押し付けて締め付ければ小さく呻くような吐息が漏れた。
 ずっと今までセックスだけが二人を繋いでいたものだと思ったが、どうやら違ったようだった。長い付き合いの中で今日初めて、互いを快楽を得るための『もの』として扱っている気がした。
「ぁ…っう」
 酷く慣れた身体は頭が麻痺するほどの快楽を感じ、平衡感覚すらよくわからなくなった。縋って悲鳴にも似た声を上げて達したあと、ずるりと抜け出した熱をもっと感じていたくて厭だと言った。ぼんやりとした視界に映ったのは、やわらかな微笑と頬に伝う涙だった。生理的に溢れた涙を指が拭って、優しい唇が目尻に触れた。互いのものでぐちゃぐちゃな中に指を入れられて、小さく呻いた。また這い上がってくる熱にうっとりと息を吐いた。





「…さよなら。」
 最後、気を失う寸前にそう囁かれた。その声が酷く耳に残って、それを振り払いたくて目を閉じた。










「……」
 目を覚ましたら、当たり前のようにヴァッシュは居なかった。テレビは付けっ放しで、夜の深夜番組を映していた。身体は綺麗に拭われていて、服もきちんと置いてあった。身体に残る鬱血の跡と腰の鈍い痛みを除けば、先程の行為の名残はなかった。
「さよなら、か」
 テーブルの上には、帰りのタクシー代。腰が辛いのを知ってのことだった。ヴァッシュの家はオートロックで、合鍵など持っていない自分は出たらもう二度と入ることは無いと思った。綺麗に整った部屋。ものが無くて、殺風景な部屋。
「ッ」
 不意に視界が濁ったのがわかった。信じられなくて指で目尻を拭うと、生暖かい液体の感触がした。恋愛感情抜きで、という約束をしたのは自分で、それを守れなくなったヴァッシュは関係を切ろうとした。それなのに、ヴァッシュが傷付くことを知っていたのに、最後にセックスを求めたのは自分だった。
 そして今独りになって、泣いている自分が居た。

 

終わることと忘れ去ることの痛みを。 訳のわからない感情はもう要らない。


 
 だから早く出て行かなければいけない。
 明日は休みだ。だるい身体を引き摺ってでも街中を歩き回れば、気が晴れるだろう。
 涙の意味など、知らなくていい。




「さよなら」

 小さく呟いて、それから閉めたドアは、この感情を、こころの奥に仕舞ってくれそうな音を立てた。




†END†

 

■■
■■
■■■


うどんさんのコメント:
は、半端で…すみません…(汗)
ラヴレスをとことん追求するつもりで書いて結局この体たらくです!←平手打ち
しかも何ヶ月掛かってんだよ…


030518 うどん

 

佐々木ササコメント返し:
せ…せつなー!!(床を横転)
ラブレスではないかもしれませんが(←否定しろよ…!)
両想いすれ違いが痛くも心地よかったです。
素直になっときゃ良かったのに牧師!

はっ…!?
ウルッフさんの生理的な涙以外の涙、初描き!?(そんな自分に衝撃を受ける)

back to page